日本の工芸を海外に。。。
日本の工芸品を海外に売ろう、ってのが大ブームです
うちへ飛び込み営業で来られる方の第二位に「日本の伝統産業製品、工芸品を海外に紹介する仕事しています!」ってのがあります。まぁ、雨後の筍のように月に2,3度はお越しになるでしょうか。(ちなみに第一位に輝くのは、ダントツでN〇T代理店の電話に関するもの。)よくまあ、これほど沸いてくるもんだと感心します。残念ながら、多くはマユツバのお話されるので、お断りせざるを得ません。紹介するお仕事とはいえ、だいたいウェブ上で商品写真だけを掲載して、受注~請求~出荷だけこなす消化仕入れのタイプでしょうか。
日本人がんばってます系テレビ番組や、デザイン関連雑誌でも、日本の工芸品が海外で頑張ってます、というのもしょっちゅう目にします。注目されるのは本当にありがたいことです。海外輸出がずいぶん、身近に感じられる時代になりました。
海外で展示会をしませんか
ってのも多いです。有名な商材見本市に並べて商談をしましょう、ってのもここ10年ほど大流行です。国や行政が国産品輸出を奨励していることと、国内で低迷する伝統的工芸品の消費を海外に販路を向けることで解消しようという思惑です。私もお誘いいただいて、8年前に一度フランスに連れて行ってもらったことがあります。一度経験して、わたし(うち)には合わないと感じたので、それ以後は行っていません。
ほぼすべての商材見本市への出展事業は国や行政が補助金を出してやっているので、とにかく甘くて緩いです。資金調達をして、命懸けで開発して、自ら足を運んで売り込んで成果を上げている私から見ると、税金を大量につぎこんでやるプロジェクトにどうもうしろめたさを感じてしまって。補助金なしじゃ動けないカラダになってしまいそうで。アートや工芸をビジネスのテーブルに載せて行かないと。
海外で売るときの注意
実際行ってみて、困ることがたくさんあると思います。国や行政も躍起になって、あの手この手で障害を乗り越える手立てを考えてくださっています。セミナーなんかも開いてくださったり。いたりつくせり。
とうとうアリババさんも登場!
工芸品の海外輸出はそもそも
16世紀ごろから、日本の美術工芸品はたくさん海外へ輸出されていました。オランダ人や中国人によって、鎖国の間さえもヨーロッパ各所へ行き渡っていました。オーストリア・ハプスブルグ家の蒔絵コレクションは有名。18世紀はパリで日本の美術工芸は熱狂的大ブームだったそう。開国後、さらに加速して輸出がさかんに行われました。いわゆるジャポニズム。アメリカ市場にはたくさんの漆器も輸出されたとか(対米輸出額の1%が漆器)。当時は日本に限らず国を代表する産品として世界中から美術工芸品が万国博覧会を通して展示~紹介されていました。
↓ちなみにうちの先祖も、1904年のセントルイス万博に出品していたそう。余談ですが、セントルイス万博については、興味深い論文「セントルイス万博にみる日本ブランドの萌芽(楠本町子さん書)」もありました。
歴史を振り返って思うことは
ジャポニスムへの対応が明治時代の政策となって、日本の美術制度そのもののになってしまいました。輸出して売れるものが良しという国と工芸界の文脈。ジャポニスムの需要を見込んだ美術工芸品の輸出が政府の殖産興業政策を担って、博覧会への出展が奨励されました。いま当時の人気を評した工芸品を見るとですね、超精密で過大に装飾的なのですけれど、グッとくるものが無いんです。おそらく当時の日本人もそう見えていたものも多かったはず。すごいものはあるけれど、いいものがない。。。また明治も後半になってくると粗悪なものがあふれ出し、どんどんと日本の工芸品の評価が世界的に下がってくるのでした。
輸出で一部の工芸産業は発展し、新しい文脈のもと東京芸術大はじめ教育も拡充しました。でも失ったものも多い気がします。歴史は繰り返すと思います。同じ轍は踏まないようにしたいものです。
店頭販売員からのおしえ
つい先日、近所の量販メガネ店で、メガネを新調しました。メガネ購入の際の体験を、メモしておきます。
オチを先に言ってしまうと、メガネをただでもらってしまいました。
試着やら計測やらで、普段からかけているメガネを店員さんにお渡ししました。店員さんはサービスで、きれいに布で拭いてくれるのでした。もともと年季も入っていたので老朽化や汚れもひどかったのですが、何かの拍子に鼻に当たる金具部分「鼻当て」が、ぽろりと折れて落ちてしまいました。店員さんは一瞬顔が青ざめたものの、丁寧にお詫びをくださって平謝り。モノに執着もありませんので、古いものなのでもういいですよと帰ろうとしました。
その店員さんは女性で、一目見て20代前半の若い方でした。社員さんかなぁ。せっかく来ていただいたのでどうぞ、と新しいメガネを作って無償でプレゼントしてくださるそうです。お店の過失ですから当たり前といえば当たり前なのですが、その対応の迅速さとスムースさにあっけにとられました。店長クラスの上司に対応を聞きに行くでもなく、現場のとっさの判断でことが進みました。私はたいそういい気持ちになりました。
このメガネ屋さんは大手ですから、店員の不測の事態に対する教育がちゃんと行き届いているのか、このお人の気の利いたお人柄なのか、もしや無償で上げても大したことない原価なのかわかりませんが、
自分の部下ならこうは出来ないかもしれない、と思いました。咄嗟にそのばで判断と行動するのは難しいかも。やはり、会社を作り上げ成長させるのはお人次第なんですよね。
で、結局気をよくした私は、もう一着クルマ運転用のメガネを注文したのでした。まんまと乗せられたのかもせいませんね。
京都の老舗
創業100年以上つづく
京都府下、創業100年以上の事業所1700社が加盟する「京都老舗の会」の総会に毎年参加しています。そこでは基調講演会、表彰、交流会が行われます。
平成28年度今回の基調講演は、上羽絵惣株式会社 十代目 石田結実さん(宝暦元年創業。日本最古の日本画絵具製造販売業)と、株式会社クロスエフェクト 代表取締役 竹田正俊さん(高速3Dプリントで外科手術用のモデル製作)のトークでした。
それぞれ印象に残る言葉を記しておきます。
革新や開発には遊びや余裕が大事では、との話題で、
石田さん:社長として慌ただしい毎日を送る中、ヨガの時間を大切にしています。もう15年以上続けています。精神性や約束事が経営にも役立っている。
竹田さん:新社屋建設の際に、社員の声を受けて、オフィスに滑り台を設置した。会社見学に年300社来られる。
オフィスに滑り台…個性派続々 やる気と発想狙い : 京都新聞
私の経営する会社では、ありきたりですが、有給休暇完全消化、長期休暇取得を奨励しています。デザインや新作へのアイデアは、美を探求して教養を身につけたりリフレッシュしたりと、自己研鑽に努めるとともに休養をとってほしいと願っています。
企業が長く続くコツはなんだろう、との話題では、
石田さん:跡を継ごうと思った時には13億円の債務があった。社員とともにがむしゃらに働いてきただけ。
竹田さん:ドラッカーのマネージメント原則を実践している。企業を人の命にたとえて、殺してしまうことのないように命懸けでとりくんでいる。
私自身も様々な老舗企業経営者とお話する機会がある中で、多くの方がおっしゃる「たまたま運が良かった」「日々一所懸命やっていたら続いた」という素朴なご意見が非常に多いです。とくに京都は、空襲に遭わなかったことも大きい要素かもしれません。
最後に、2016年11月に発行された京都老舗の会ニュースレターをご紹介します。
http://kyoto-shinisenokai.com/wp-content/uploads/2016/11/15.pdf
2017新年会は老舗料亭さんへ
新春もいろいろとイベントが重なりますが、会社では新年会を開催しました。
今年は奮発をして、私の大好きな山ばなの平八茶屋さんにお邪魔することにしました。こちらは若狭のぐじと、麦飯とろろ汁が有名で、数ある京都の料亭の中でももっとも長い歴史をもつうちの一つです。
まずは、名物のむぎとろ饅頭とあたたかいお茶で迎えていただき、その後お料理が運ばれてきます。いつもだと近場の居酒屋などで済ませる新年会ですが、今回は若い世代の社員の教養を養うための研修とも位置付けています。老舗のサービスはもちろんのこと、お料理を核として作法、しつらい、うつわ、窓から見える風景もあわせた芸術を堪能してもらいたいと願っての選択です。
八寸は、松の内は越したとはいえ、新春をお祝いするもの。素朴な盛り付けでありながら、下ごしらえを丁寧にした季節ならではの味覚。
今回はお造りでもいただきましたが、やっぱりこれ。
油をかけて焼いた、パリッとした皮ごといただくぐじです。このぐじをたべたら、よそさんのは食べられなくなるかもです。
あっという間の3時間でした。
これを機会に、世界遺産ともなった和食に深い興味をもって、うつわづくりに勤しんでもらえたらうれしいです。来たかいがあったというものです。
正月のお飾り
2015年のお正月から、白黒の幔幕を掲げています。
むかしのうちの幔幕(まんまく)は、白と青だったのですが、ある老舗のご主人によると黒が一番格調高いとのことでした。もう20年近く幔幕の習慣がなかったので、奮発して新調しました。お正月のほかに、祇園祭の期間7月中も掲げています。
暖簾はちなみに、その2年前から。うちのブランドマークを作ることを模索していたところ、いっそのこと家紋にしましょうということで、もともとあった家紋「井桁ニ四ツ目車」紋をリファイン、マークにしました。ですので、もともとあったように思われる方がおおいのですが、ここ数年のことです。暖簾を掲げるようになって、お店に格調が出てきたように感じます。
さて、時代の移り変わりや生活習慣の変容もあって、老舗と言われる我が家でもお正月が様変わりしています。30年ほど前までは、正月になると親戚が入れ代わり立ち代わりやって来ては酒盛り、それが1週間ずっと続いていたのを記憶しています。祖父に兄弟が多かったこともあって、その親戚の数がはんぱじゃありませんでした。最後は泥酔で大声で歌うか、一晩中碁を打つかのどちらかでした。
飾り付けも多く、工場から便所、蔵へはもちろん、神々が宿ると言われる箇所にはしめ飾り、飾りにもいろいろな形があったよう。でもほとんど忘れてしまって、記録ものこっていません。とくに近年は3が日だけ定休ということもあって、1月4日からは普段通りの営業です。親戚もほとんどが亡くなったり疎遠になったりで、誰も来なくなりました。
今となっては思い出ですが、今思えばせめて記録に残しておけばよかったかなと思います。京都でも家々によって風習が違うようで、その違いに興味がわいてきました。
暖簾は季節によって架け替えています。2016年秋からご披露しているのは、新色の茶色。ちょっと大人しすぎたかな。
工芸と社会とのかかわり
工芸と社会を結び付けたり、橋渡ししたりするのは楽しい
家業のかたわら、作家・作品を世に問う事業を続けています。いわゆるギ
ギャラリーを経営していると、
素晴らしい活動をされ
ギャラリーの収益構造は、基本的には「作品を高く売る」という非常にシンプルなものです。これがただの
私が今までお付き合いした海外の作家たちの場合は、お互い
・自分目線での発表になってしまいがち
どう見
・ぬるい、生暖かい環境にいるの場合
行政が税金をつぎ込んで、アーティストを囲い込んで自由に好き勝手に作らせていることをよく目にします。道具は揃っていて家賃も発生せず、場合によっては給与を貰っているとか。あとは親御さんが扶養していたりするケースもあります。ニート状態。これはいいわるいは別にして、尊敬する福のり子さんの言葉を借りると
”動物園のゾウの平均寿命は17歳。でも野生のゾウは平均56年間も生きる! 危険に囲まれて、自力でエサを確保しなければならないゾウが、安全で、エサももらえる環境にいるゾウより3倍も長生きする!なぜだろう?きっと、檻のなかにいるゾウより、野生のゾウのほうがもっと自由に生きられるから。生き延びるための直感や知恵を、たくさんの経験や失敗のなかから学びとっていくからでしょう。”
本来自由であるはずのクリエーターが動物園にいるのってもったいないですよね。美術工芸を育てようとしている自治体の足元にこういうケースが多いです。荒波にもまれてほしい。行政も税金の使い道もっと考えたらいいのになぁ。
・ちょっと残念な場合
時間と手間とお金を投資して、若く無名の優れた才能をもった作家を後押し、すなわち評価を高めようとしていると、別のギャラリーがひょいっとその作家の展覧会をしちゃうケースがあります。その時になって私自身、作家とのコミュニケーション・情報交換が足りていなかったと猛省しますが、それはないでしょとそのギャラリーにいらだったりします。美味しいとこだけ持っていかれた感だけが残ります。「今度だれそれの展覧会をうちでさせてほしいんだけど」と相談くらいしてくれたらいいのに。じゃ結局アーティストと独占契約しかなくなってきます。一昔前なら暗黙の了解や信頼関係で済んでいたものなのに、今は紙にサインしなくちゃいけない。だれがこうしたんだろ。そういう意味で、アートプロデュースってのは認知度と評価がすごく低い仕事かもしれません。命懸けでやっているのに、なかなかわかってもらえない。
かといって、今はアーティストを縛る(すなわち契約する)つもりは全くありません。理由は上の野生のゾウの話。自由でありたいしあってほしい。なので、あえて今後も信頼関係だけでやっていこうと思います。
仕組みづくりは難しく遠い。
伝統技術の特許申請について
心底びっくりする事件がありました。
製品〇〇は、わが社のもつ特許を侵害しています。製造販売を即刻中止しなさい。という警告が、私の業界に出回りました。業界と言っても、数軒だけのちいさな同様のはなしで、組合などがあったりするわけではありません。関わるひとたちは20人にも持たないとは思いますが、みな騒然としました。普段見慣れない弁護士からの内容証明ですから、とくにこころがざわざわました。
その技術は、鋳物の知恵と技のひとつで、江戸中期から連綿と伝わっているものです。錫という素材を板状に鋳造する技、またはその板の肌合いを作る技で、私の工房でも、商品種だけでも100以上に用いられています。先達からおそわり、いまも日常的に(とくに気にもせず)つかっている技術でした。他の工場も、私の教え子も、普通に毎日つかっているものです。とくに板の仕事を得意としている私の工房には重要な技術です。
調べたところ、たしかに東京の合金メーカーが特許出願・登録していました。なので、言い分はその先方にあります。特許は基本的に、早い者勝ちです。ひとまず私の方では、当方の顧問弁護士、弁理士に相談することなりました。
若い世代の作家などは憤慨して、自分で調べ動き回って解決策を練っているようです。同業の間でも、議論が繰り返されました。ただ、結論から言うと埒があきませんでした。特許の無効にむけて反証するにも、その資料集めの手間と時間、お金が膨大にかかるものです。無効の申請自体が利益を生むことが無いとの理由で、そのまま波風が立たないようにするしかないようです。
警告はもちろん無視しますが、こういう事例、どうにかならないものでしょうかね。そもそも特許って、知恵と工夫を保護するものなのにね。