工芸と社会とのかかわり
工芸と社会を結び付けたり、橋渡ししたりするのは楽しい
家業のかたわら、作家・作品を世に問う事業を続けています。いわゆるギ
ギャラリーを経営していると、
素晴らしい活動をされ
ギャラリーの収益構造は、基本的には「作品を高く売る」という非常にシンプルなものです。これがただの
私が今までお付き合いした海外の作家たちの場合は、お互い
・自分目線での発表になってしまいがち
どう見
・ぬるい、生暖かい環境にいるの場合
行政が税金をつぎ込んで、アーティストを囲い込んで自由に好き勝手に作らせていることをよく目にします。道具は揃っていて家賃も発生せず、場合によっては給与を貰っているとか。あとは親御さんが扶養していたりするケースもあります。ニート状態。これはいいわるいは別にして、尊敬する福のり子さんの言葉を借りると
”動物園のゾウの平均寿命は17歳。でも野生のゾウは平均56年間も生きる! 危険に囲まれて、自力でエサを確保しなければならないゾウが、安全で、エサももらえる環境にいるゾウより3倍も長生きする!なぜだろう?きっと、檻のなかにいるゾウより、野生のゾウのほうがもっと自由に生きられるから。生き延びるための直感や知恵を、たくさんの経験や失敗のなかから学びとっていくからでしょう。”
本来自由であるはずのクリエーターが動物園にいるのってもったいないですよね。美術工芸を育てようとしている自治体の足元にこういうケースが多いです。荒波にもまれてほしい。行政も税金の使い道もっと考えたらいいのになぁ。
・ちょっと残念な場合
時間と手間とお金を投資して、若く無名の優れた才能をもった作家を後押し、すなわち評価を高めようとしていると、別のギャラリーがひょいっとその作家の展覧会をしちゃうケースがあります。その時になって私自身、作家とのコミュニケーション・情報交換が足りていなかったと猛省しますが、それはないでしょとそのギャラリーにいらだったりします。美味しいとこだけ持っていかれた感だけが残ります。「今度だれそれの展覧会をうちでさせてほしいんだけど」と相談くらいしてくれたらいいのに。じゃ結局アーティストと独占契約しかなくなってきます。一昔前なら暗黙の了解や信頼関係で済んでいたものなのに、今は紙にサインしなくちゃいけない。だれがこうしたんだろ。そういう意味で、アートプロデュースってのは認知度と評価がすごく低い仕事かもしれません。命懸けでやっているのに、なかなかわかってもらえない。
かといって、今はアーティストを縛る(すなわち契約する)つもりは全くありません。理由は上の野生のゾウの話。自由でありたいしあってほしい。なので、あえて今後も信頼関係だけでやっていこうと思います。
仕組みづくりは難しく遠い。